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「チキン・リンダ」と呼ばれるパフォーマンス・アーティストは50年燃え続ける

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「チキン・リンダ」と呼ばれるパフォーマンス・アーティストは50年燃え続ける

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最近読んだHyperallergicの記事で、しばらく頭から離れなかったものがある。「チキン・リンダ」と呼ばれる、78歳のパフォーマンスアーティストの話だ。

彼女は1984年から7年間、毎年違う色の服だけを着続けた。理由は「精神的修練のため」。評価でも話題作りでもなく、生活そのものを作品にしてきた人。なぜ人は50年も、誰にも頼まれていない営みを続けられるのか。その問いが、ずっと残った。

The Divine Powers of “Chicken Linda” (Hyperallergic)

元記事を読む:https://hyperallergic.com/the-divine-powers-of-chicken-linda/

引用)元記事サムネイル
引用) The Divine Powers of “Chicken Linda” (Hyperallergic)よりサムネイル

鶏を抱いて街を歩く、78歳の女性がいる。

名前はリンダ・M・モンターノ。アメリカのパフォーマンスアーティスト。半世紀にわたって、評価や流行とは無関係なところで、自分の生活そのものを作品にしてきた人だ。なぜ彼女は、止まらないのだろう。なぜ、止まる必要を感じないのだろう。

——

1984年、彼女は奇妙なプロジェクトを始めた。「Art/Life: One Year Performance」。7年間にわたって、毎年一色を決め、その色の服だけを着続ける。赤の年、オレンジの年、黄色の年。チャクラの色に対応していた。同時に、その色のついた部屋で過ごし、その色に関連する音を毎日聴き、その色のエネルギーで暮らす。

7年間。

誰かに頼まれたわけではない。展示のためでもない。彼女にとってそれは、アートであると同時に、精神的修練だった。カトリックの修道院で過ごした若い日々と、東洋思想への傾倒が、その奥に静かに流れている。

アートと生活の境界を、彼女は早い段階で溶かしてしまった。作品を「作る」のではなく、「生きること」がそのまま作品になる。だから終わりがない。引退もない。50年経った今も、彼女は鶏を抱いて、近所の人に祝福を与えながら歩いている。「チキン・リンダ」と呼ばれて。

——

ここで考えてしまう。

継続とは何だろう。私たちは「続けること」の話をするとき、つい根性や努力の物語に回収してしまう。歯を食いしばって、自分を律して、目標に向かって——。けれどリンダの継続は、そういう種類のものではないように見える。

彼女は、続けているのではなく、ただそうしている。生きることと作ることが分かれていないから、止める理由がない。呼吸を「続けている」と言わないのと同じように。

渡り鳥は、5,000kmを「頑張って」飛んでいるわけではないのだろう。飛ぶことが、彼らの在り方そのものだから。意志と本能の区別がつかないところまで、何かが沈み込んでいる。リンダの50年も、おそらくそういう領域にある。

——

現代アートの世界では、長期パフォーマンスはひとつの系譜を形作っている。テーリング・シエ=ホアの1年間の檻、マリーナ・アブラモヴィッチの長時間の沈黙。けれどリンダの異質さは、それを「作品」として完結させないところにある。彼女には始まりも終わりもない。記録もされず、誰にも気づかれないまま過ぎていく日々のほうが、おそらく圧倒的に多い。

それでも、燃えている。

見えないところで、誰の評価とも関係なく、静かに。

——

78歳の彼女が、鶏を腕に抱いて笑っている写真を見る。派手さはない。むしろ、ひどく日常的だ。けれどその日常の奥に、50年分の時間が折り畳まれていることを思うと、こちらの呼吸が少しだけ深くなる。

続けるとは、信じることでも、耐えることでもない。ただ、自分の中の小さな炎を、消さないでおくこと。それだけのことなのかもしれない。

——

彼女は今日も、誰かに祝福を与えているだろう。誰にも頼まれていない祝福を、誰かのために。

静かなるエナジィなポイント:評価も終わりも求めず、生きることと作ることを溶かし合わせた50年の静かな炎。

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Hyperallergic, アーティスト, アート, パフォーマンスアート, 創作活動, 生き方, 継続