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エベレスト32回登頂——記録を更新し続けるシェルパという生き方

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エベレスト32回登頂——記録を更新し続けるシェルパという生き方

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‘Everest Man’ and ‘Mountain Queen’ break own records scaling world’s tallest peak (BBC)

標高8,848メートル。世界最高峰の頂に、ある男性が32回目の足跡を刻んだ。ニュースはそう伝える。だが、その数字の裏側に、私たちはどれほどの「見えない時間」を想像できるだろうか。称賛されるのは、いつも頂に立った登山家の名前だ。その隣で、酸素ボンベを担ぎ、ロープを張り、道を作り続けてきた人々の名は、しばしば風に紛れて消えていく。

2024年5月、ネパールのシェルパであるカミ・リタ・シェルパ氏が、エベレストへの32回目の登頂を果たし、自身の持つ世界記録をさらに更新した。54歳。彼は今もなお、毎年あの山に登り続けている。

                       

シェルパについて、皆さんはご存知だろうか?

「シェルパ」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは「登山のガイドさん」だろう。荷物を運び、登山者を頂上まで導く——そんなイメージかもしれない。

しかし、シェルパとは本来、ネパール東部のヒマラヤ山岳地帯に暮らす民族の名前である。

チベットから移り住んだとされる彼らは、標高3,000〜4,000メートルの高地で何世代にもわたって生活してきた。希薄な酸素に適応した身体、険しい斜面を歩き慣れた脚。それは選んで得たものではなく、生まれた土地が彼らに与えた静かな資質だ。

20世紀初頭、西洋の登山隊がヒマラヤに押し寄せるようになると、シェルパたちはその案内役・荷揚げ役として雇われるようになった。1953年、エドモンド・ヒラリーと共にエベレスト初登頂を果たしたテンジン・ノルゲイもまた、シェルパだった。

しかし、その「職業」としての現実は、外から見るほど美しいものではない。エベレスト登山シーズンの数ヶ月で稼ぐ金額は、ネパールの平均年収の数倍に達する一方、死亡率は他のどの職業よりも高いとされる。雪崩、クレバス、低酸素、凍傷。2014年のクンブ・アイスフォール雪崩では16人のシェルパが命を落とした。彼らは登山者よりも何度も同じルートを往復し、ロープを設置し、荷物を運び、危険を先に引き受ける。

「私たちは山を征服しているのではない。山に許してもらっているだけだ」——あるベテランシェルパは、海外メディアの取材にそう答えている。征服という言葉を使う登山文化の中で、彼らだけが「許し」という言葉を使う。その姿勢の差に、私たちが見落としてきた何かが宿っている気がしてならない。

                       

カミ・リタ氏が初めてエベレストに登ったのは1994年、24歳のときだった。それから30年。彼は毎シーズン、同じ山に、同じルートで、同じように登り続けてきた。

華やかな初登頂の記録もない。新ルートの開拓者として名を残しているわけでもない。彼がしてきたのは、ただ「登り続ける」ということだ。クライアントを安全に頂上へ送り届け、無事に下ろす。その繰り返し。

32という数字は、その繰り返しの結果として、静かにそこにある。

記録のために登っているのではない、と彼は語る。仕事だから登る。家族を養うために登る。そして、山を愛しているから登る。理由は驚くほど素朴で、だからこそ揺らがない。

派手な目標も、劇的な物語もない。ただ、来年も登るだろうという確信だけがある。それは、5,000キロを飛び続ける渡り鳥が「なぜ飛ぶのか」を問わないのと似ている。飛ぶことが生きることであるように、彼にとって登ることは生きることそのものなのだ。

                       

世界が「最速」「最年少」「初」という言葉に沸くとき、彼は黙って33回目の準備を始めている。記録を狙ったのではなく、続けた結果としての記録。称賛されるためではなく、生きるために重ねた足跡。

その静けさの中にこそ、本当のエナジィは宿っているのかもしれない。


静かなるエナジィなポイント

記録のために登るのではなく、生きるために登り続けた30年。
その積み重ねが、いつしか世界記録になっていた。

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タグ
エベレスト, カミ・リタ・シェルパ, シェルパ, ネパール, ヒマラヤ, 世界記録, 登山