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ボストン茶会事件の遺品は100年後の品だった、MIT歴史学者が広東語で読み解いた茶箱ラベル

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ボストン茶会事件の遺品は100年後の品だった、MIT歴史学者が広東語で読み解いた茶箱ラベル

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MIT Technology Reviewが、MITの歴史学者トリスタン・ブラウン准教授の研究を伝えています。1773年のボストン茶会事件で海に捨てられた茶箱のものとされ、1987年からオールド・サウス集会所に展示されてきた中国の茶箱ラベル。その本当の来歴を、1年かけて調べ直した話です。

決め手は、ラベルの漢字を北京語でなく広東語の音で読んだことでした。最新の機器ではなく、読み方を一つ変えただけで、展示品の物語が書き換わります。身近な品がどう「歴史」になっていくのかを考えさせる一本です。

Here’s the tea (MIT Technology Review)

出典:Here's the tea(MIT Technology Review)
出典:Here’s the tea(MIT Technology Review)

1773年、ボストンの港に英国東インド会社の茶が投げ込まれました。アメリカ独立へとつながる「ボストン茶会事件」です。その際に回収されたと伝えられてきた中国の茶箱のラベルが、ボストンのオールド・サウス集会所に展示されてきました。MITの歴史学者トリスタン・ブラウン准教授が1年をかけて調べ直したところ、このラベルは事件からおよそ100年後に作られたものだと分かりました。

1987年に寄贈された一枚のラベル

オールド・サウス集会所は、1773年12月16日、茶の荷揚げに反対する人々が集まった場所です。この年の5月に定められた茶法によって、東インド会社は植民地へ茶を直接販売できるようになっていました。ダートマス号、エレナー号、ビーバー号の3隻が茶を積んでボストンに着き、町の人々は荷揚げに反対します。集会所での話し合いはまとまらず、その夜、342箱の茶が港に捨てられました。

ラベルを寄贈したのは、ボストンの鍛冶職人トマス・ウェルズの子孫です。1987年のことでした。一家は、植民地の人々が茶を港に投げ捨てた際に回収されたものだと説明していました。

これまでに大英博物館とハーバード大学もこのラベルを鑑定していますが、茶会事件の品だと確認したわけではなく、その可能性を否定しなかったという結果でした。ブラウン准教授も、調査を始めた時点では本物だと考えていたといいます。

広東語で読み直した漢字

決め手になったのは、ラベルに書かれた中国語の読み方でした。これまでの研究者は、この文字を北京語(標準中国語)で読んでいました。ブラウン准教授は、同じ文字を広東語の発音で読んでみました。広東語は、19世紀の中国の茶貿易で主に使われていた言葉です。

すると、いくつかの漢字が、音を写す当て字として使われていることが分かりました。日本語で外国の名前に当て字をするのと似た使い方です。その音が表していたのは「スミス・アーチャー商会」という社名でした。同じ時代の資料を見ると、この社名は少しずつ違う字の組み合わせで書かれていました。ラベルの末尾には、この商会の茶店主である袁天波(えん・てんぱ)という人物の署名もありました。

スミス・アーチャー商会は、1860年代から1870年代にかけてアジアの茶を仕入れ、アメリカの市場へ送っていたニューヨークの会社です。社名が分かったことで、ラベルが作られた年代も絞り込めました。

🖼 本文挿入画像 #1(1536×1024)

ゴールドラッシュの時代を旅した親族

ブラウン准教授は、ウェルズ家の人々と一緒に、ラベルがどのように一家へ渡ったのかもたどりました。

行き着いたのは、一家のある親族でした。この人物はゴールドラッシュの時代にミシガンからカリフォルニアへ渡り、その後に戻って「カリフォルニア・ティー・ストア」という店を営んでいました。ラベルは茶会事件ではなく、この一家の茶の商いを通じて手に入ったものと考えられています。

研究の成果は、学術誌「アメリカン・ヒストリカル・レビュー」の2026年6月号に論文として掲載されています。

百年祭の頃に生まれた物語

では、なぜ19世紀の茶店のラベルが、独立革命の遺品として語られるようになったのでしょうか。

ブラウン准教授は、その由来が後から付け加えられたものだと考えています。時期として挙げているのは、アメリカ独立100周年を祝う行事が続いた1870年代です。1900年代初めには、茶会事件の際に茶箱から取ったラベルだという話が地元の新聞にも載りました。家族の言い伝えや新聞、記念行事で繰り返されるうちに、事実として扱われるようになっていきました。

准教授は、独立戦争期の品ではないと分かっても、このラベルは中国と南北アメリカの長い交易を記録した資料として意味があると述べています。茶会事件の遺物を調べるはずだった研究は、身近な品がどのようにして歴史の重みを帯びるのか、歴史の記憶がどう形づくられるのかを考える研究へと広がりました。

問いを変えると見えるもの

1987年から展示されてきたラベルを、ブラウン准教授は1年かけて読み直しました。手がかりになったのは、同じ文字を別の言葉の音で読むという一つの工夫でした。

「歴史に終わりはありません」と准教授は話します。何十年も博物館にあった品でも、新しい問いを立てれば別の歴史が見えてくる、というのが准教授の考えです。

MITのブラウン准教授が、茶会事件の遺品とされた茶箱ラベルを1年かけ広東語で読み直し、真の来歴を突き止めた

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MIT, トリスタン・ブラウン, ボストン茶会事件, 博物館, 広東語, 来歴調査, 歴史研究
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