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22年、青一色の皿に死刑囚の最後の食事を描き続けた画家ジュリー・グリーン

Art

22年、青一色の皿に死刑囚の最後の食事を描き続けた画家ジュリー・グリーン

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ある美術メディアが、画家ジュリー・グリーンの『The Last Supper』というプロジェクトを伝えている。死刑執行を前にした受刑者が求めた最後の食事——ピザ、ロブスター、パイ——を、中古の陶皿にコバルトブルー一色で描き続けた仕事だ。

派手な事件性ではなく、器の上のディテールに光が当たる。名前は伏せ、料理と州と日付だけを残す。誰も記録しないものを、22年かけて静かに積み上げた記録者の呼吸が、ここにある。

Julie Green’s ‘The Last Supper’ Memorializes Hundreds of People’s Final Meals While on Death Row (Colossal)

引用)Colossal  Julie Green’s ‘The Last Supper’ Memorializes Hundreds of People's Final Meals While on Death Row
引用)Colossal Julie Green’s ‘The Last Supper’ Memorializes Hundreds of People’s Final Meals While on Death Row

皿は、サービスの器だ。誰かの前に置かれる最後の一枚に、どんな手が、どんな一秒を注いだのか。

ジュリー・グリーンという画家が22年かけて描いたのは、料理そのものではない。死刑執行を前にした人が求めた食事という、記憶のオーダーだった。豪華さでも事件性でもなく、皿の上のディテールから読める話を、ゆっくりたどってみたい。

表参道でも感じる、皿という器のディテール

まず作品の入口を、料理写真や事件からではなく、器から入りたい。グリーン(1961-2021)は22年をかけて、見つけてきた陶皿にコバルトブルーの鉱物顔料で最後の食事を描き、窯で焼き直すという大規模なインスタレーションを作り上げた。

テクスチャー、って言葉が好きだ。髪も皿も、結局はそのディテールに全部出る。sushiの盛り付けでも、ロブスターの一皿でも、手を抜いた一瞬は必ず器に映るもの。1999年から2001年にかけて、彼女は大量生産された陶皿やプラッターを集め、コバルトブルーの顔料を加えて焼き直し、ピザやロブスターからパイ、KFCの箱まで、ありとあらゆるものを描いていった。

新品のキャンバスではなく、中古の、誰かが使った皿。その選択自体がもう、この仕事の質感を決めている。

青一色というルール、その禁欲がfair

色を、足さない。この判断がいちばんcuriousだと思う。それぞれの中古の陶皿には、コバルトブルーの鉱物顔料一色で、死刑囚が求めた最後の食事、州、そして執行日が描かれている。

ピザの赤も、パイのきつね色も、全部ブルーに置き換える。この制約は日本の染付や中国の青花を思わせるし、青みがかった描写には、オランダのデルフト焼やスペインの静物画の影も見て取れる。

色を足さないというのは、逃げないということだ。ブルー一色に絞ると、ごまかしが効かない。線の迷いも、筆の甘さも、そのまま白い皿に映る。fairであるって、たぶんこういうことだ。手数を増やして華やかにするより、一色で勝負するほうがずっと集中を要る。禁欲的なルールを自分に課すこと自体が、この記録者の姿勢そのものだった。

ピザ、シーフード、母のパイ——欲望じゃなくて記憶のオーダー

皿に描かれた食事を見ていくと、豪華さを求めた人はほとんどいない。プロジェクトのきっかけは1999年、オクラホマの新聞記事だった。ある男性の最後の食事——エビ10〜15尾、ケチャップ添えのタタートッツ、ピーカンパイ2切れ、ストロベリーアイス、蜂蜜とビスケット、コーラ——が、そこに描かれていた。

どれも、どこかで食べたことのある味だ。故郷の味、誰かの手料理、子どものころの食卓。欲望のオーダーじゃなくて、記憶の再現オーダーなの。

いちばん胸に残るのは、これ。「彼は誕生日ケーキを一度も持ったことがなかったので、私たちが彼のためにケーキを注文した」と、ある皿には書かれている。もう一枚には、1945年7月23日の日付とともに「彼はまだ15歳だった」と記され、チキンのドラムスティックとスイカが描かれている。

🖼 本文挿入画像 #1・スイカとドラムスティックの俯瞰(1536×1024)

名前は、決して描かれない。見る人は日付と食べ物の性質から、その人物について何かを推し量ることはできる。けれど、収監されていた人の名前は一切示されない。この匿名性が、料理だけをtexturalに浮かび上がらせる。誰、ではなく、何を食べたかったか。それだけが残る。

年に50枚——冬に描き続けるという時間

この仕事の核心は、単発の衝撃じゃなくて、続けたことにある。中古の陶皿にコバルトブルーの顔料を用いて、グリーンは年に50枚を描くつもりでいた。冬の数か月をこのプロジェクトに充て、アメリカで死刑が廃止されるときにシリーズを終える。そういう計画だった。

年50枚。冬に描く。このリズムが好きだ。ものを作り続ける人がよく口にすることだけれど、到達点は一発の才能じゃなくて、決めたペースを何年守れるかで決まる。22年という時間。そのあいだ、彼女はずっとcuriousであり続けた。

2021年に画家が亡くなった時点で、皿は1000枚に達していた。本来は死刑廃止までと決めていたが、病が進むにつれ、年50枚のペースは1000枚で締めくくられることになった。続けることでしか届かない場所が、そこにあった。

見せる皿じゃない、残す皿

この作品は、ギャラリーで映えるために作られたものじゃない。記録として残すために作られている。最後の食事のリクエストは、司法当局に叶えられないことも多い。それでも記録は残り、36州で執行の公的記録の一部となっている。

グリーンは正式な手続きで、その記録を集めた。刑務所に請求を送り、収監されていた人々の最後の食事について調べ、請求が却下された場合も含めて、その返答を作品の中に引用している。

皿は、州ごとにまとめられる。『The Last Supper』の皿は執行が行われた州ごとに整理され、その完全なセットとして展示される。そこから、地域ごとの視覚的な数量化が生まれる。即時に消費されて流れていくものの対極にある、静かに積層する仕事だ。この秋には、グランドラピッズ美術館で10月3日から一年強にわたって展示される。

なぜ私たちは「最後のオーダー」に引き込まれるのか

最後に、ひとつの問いだけ残しておきたい。なぜ人は、他人の最後の食事にこれほど引き込まれるのだろう。

たぶん、食べるという行為が、生のいちばん無防備な瞬間だからだ。食べ物は、ケア、儀式、文化、そして安らぎと強く結びついている。『The Last Supper』では、そうした意味が、収監と執行という現実と緊張関係のなかに置かれる。

描かれた料理の多くが、驚くほど平凡だという事実が、その緊張をいっそう際立たせる。ピザ、フライドチキン、パイ、コーラ。誰の食卓にもあるものだからこそ、見る側の心に届く。

派手さも即効性もない。ただ一枚ずつ、青い筆で、誰かの記憶を器に置いていく。22年ぶんの手元の集中が、1000枚の皿となって静かに残った。テクスチャーは、こういうところにこそ出る。

年50枚、22年——青一色の皿に他者の記憶を刻み続けた、記録という名の静かな執念。

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タグ
The Last Supper, アメリカ, コバルトブルー, ジュリー・グリーン, 死刑, 現代アート, 記録, 陶芸
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