50年間、世界中の誰も見つけられなかった謎の低周波「ザ・ハム」に研究者が仕掛けた逆襲
By Silent Energy Inc.[公式] on
ScienceDailyが、世界中で数十年報告されながら音源が特定できない謎の低周波音「ザ・ハム」の正体に迫った研究を紹介している。
音を追いかけるのではなく、音が「聞こえてしまう人」の耳の側から仮説を一つずつ潰していく——地味な聴覚実験の積み重ねに、答えの出ない謎へ静かに挑み続ける研究者のエナジィが宿っている。
すぐ解けない問いにこそ、粘り強い検証の面白さがある。
The mysterious hum heard around the world may finally have an explanation (ScienceDaily)
元記事を読む:
https://www.sciencedaily.com/releases/2026/07/260719040002.htm

夜、ベッドで横になっていると、どこか遠くでエンジンが低く唸っているような音がする。窓を開けても、道路にも隣家にも、それらしき機械は見当たらない。もっとゾッとするのは、隣で寝ているパートナーには何も聞こえていないこと…
実はこれ、進化的に見てもめちゃくちゃ面白いテーマなんです。
世界中の人が、同じ「見えない音」に半世紀も悩まされてきた。今回はその謎に、研究者がどんな手順で挑んだのかを追ってみます。
まず、この「ザ・ハム」って何者?
この現象、英語圏では「The Hum(ザ・ハム)」と呼ばれています。はっきりした音源もないのに、深い唸りやブーンという音が聞こえる。経験するのは世界人口の推定2〜4%とされています。数字だけ見れば少数派ですが、生き物の世界でいえば「一部の個体だけが持つ特殊なセンサー」みたいなもので、けっこうそそられる比率と言えます。
面白いのは、症状の重さが人によってバラバラなこと。ある人には煩わしいけど我慢できる程度。でも別の人には身体的な不快感や体調不良を引き起こし、体を通り抜ける振動のように感じられることもある。しかもこの低い音、屋外だとかえって捉えにくい。夜の静かな室内でこそ浮かび上がってくるのだから、いよいよ厄介です。
世界地図に散らばる、唸りの目撃例
報告の歴史をたどると、ちゃんと地名が残っています。最初に注目を集めたのは、1970年代半ばのイギリス・ブリストル。住民たちが「場所を特定できない低周波音」について手紙を書き始めたのがきっかけでした。ここが妙にドラマチックで、当初はデパートの倉庫にある大型の産業用ファンが疑われた。ところが、その倉庫が閉鎖された後も報告は続いたんです。容疑者を確保したと思ったら、真犯人はまだ野放しだった、という展開ですね。
そこから唸りはイギリスにとどまりません。プリマス、サウサンプトン、スウォンジー、ハイズといった沿岸の街でも似た苦情が現れ、1990年代にはアメリカのニューメキシコ州タオスやインディアナ州ココモでも報告が出た。以降、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、ノルウェー、そして複数のヨーロッパの都市で同種の音が語られています。あまりに広がったので、カナダの教師グレン・マクファーソンが2012年に「World Hum Map and Database Project」を立ち上げ、世界中の体験談を集め始めた。個人が地道にデータを積むこの姿、立派なフィールドワークですよね。

音を追わず、「聞く人」を調べる——発想の転換
さて、ここからが本題です。従来のアプローチは「じゃあ音源はどこだ」と外側を探し回るものでした。研究者たちは長年、工業機器、換気システム、交通、電気インフラ、風力タービンと、候補を一つずつ検討してきた。でも決定打は出ない。低い音はそもそも音源を特定しにくいという物理的な壁があって、これがまた曲者なんです。
そこでノルウェー科学技術大学(NTNU)のマルクス・ドレクスル教授らのチームは、視点をひっくり返しました。音そのものを狩りに行くのをやめて、それを聞いている人たちのほうに向き直ったんです。これ、進化生物学的にも筋のいい戦略で、「環境を疑うか、受け手の感覚器を疑うか」という二択を、ちゃんと後者から潰しにいった。彼らはSNSの呼びかけで、原因不明の低周波音を聞くと訴える28人のボランティアを集め(28に関連する数字が!)、二つの主要な仮説を検証します。
一つは「ハムを聞く人は異常に鋭い低周波聴力を持っている」という説。もう一つは「自分の耳の中で生まれた音(耳音響放射)を聞いている」という説です。
仮説を一つずつ潰す、地味だけど誠実な検証
第一の仮説は、超人的な低周波聴力説。最もシンプルな可能性でしたが、結果はこの説をわずかにしか支持しませんでした。低周波音への異常に強い感度を示したのは、28人のうちたった2人。外界の音を人一倍拾える耳、という説明では、このグループの大半はカバーできないわけです。
第二の仮説は、耳が自分で出す音を聞いている説。これは「自発耳音響放射(SOAE)」といって、内耳が蝸牛の増幅作用の正常な副産物として自ら生み出す、ごく微弱な音のことです。ところが、ここも空振り。低周波領域でのSOAEは測定できなかった。ちなみに被験者が聞いていると答えた音の中央値は50Hzという低さで、ゾウやクジラが使うような、体の奥に響く帯域です。
こうして、二つの分かりやすい説が消えていく。残ったのは、より内側の答えでした。すべての報告が同じ原因とは限らないものの、その源はしばしば外の世界ではなく聴覚系の内側にあるらしい。ドレクスルはこう述べています。「外
部の物理的な音源のケースを排除したわけではないが、低周波領域の主観的耳鳴りが、低周波音を脈打つように聞く現象の原因であることが多いと考えられる」。つまり、なじみ深い「キーン」という高い耳鳴りの、低音版。深い唸りや振動のような感覚として現れ、内側で生まれているのに外から来ているように感じられる。いわば耳鳴りの逆バージョンなんです。
それでも謎は残る
気をつけたいのは、これで全部解決! とは誰も言っていないこと。この研究はあくまで聴覚系に起源を持つ仮説だけを、確立された生物医学的手法で検証したものです。聴覚系の外に由来する仮説は、評価対象にしていません。研究者たちは「ザ・ハム」という言葉すら慎重に避け、明確な定義がないという理由から、代わりに「低周波音知覚(LFSP)」という用語を使っている。断定できることと、まだできないことの線を、きっちり引いているんですね。
そもそもドレクスルがこの謎に惹かれた理由も渋い。私たちが聴覚について知っていることは、主に高い周波数の音をどう捉え処理するかに基づいていて、低周波や超低周波音を耳がどう扱うかは、まだよくわかっていないんです。謎の唸りを追うことは、そのまま「ヒトの耳という古い装置の、未解明な部分」を照らすことになる。
派手な発見でも、一発逆転の証明でもありません。怪しい説を一つ、また一つと丁寧に消して、残ったものに慎重な名前をつけていく。答えがすぐ出ない問いに向かって、コストを払い続ける。半世紀ものあいだ多くの人を悩ませてきた音に、こうして静かに輪郭が与えられていくわけです。次に夜の唸りを聞いた人は、少しだけ違う耳で、その音を聞くのかもしれません。
半世紀解けない謎に、仮説を一つずつ潰して挑む研究者の粘り強い検証のエナジィ