うつくしきふつう=月明かり、音楽、ほこり、Sahara, Morocco vol.3=
ArtBy Naho Inoue on
水分という水分が奪われたようなその村に降り立つと、バケツが転がっていた。
バケツがバケツとしての重大任務、”水を張る”という役目をこの村でもうまくこなせるのだろうか。
というどうでもいいようなことを思った。
モロッコへ来て時には民営夜行バスを使い、南下に南下を繰り返しついにたどり着いたここは、サハラ砂漠の入り口メルズーガ。から30分ほど離れた、人の気配がない村。もう一生同じ場所にはたどり着けないであろう。
やりたいことリストがあった。
月明かり、満点の星空の下、砂漠のてっぺんで、歌をうたう。
そんな夢が今夜実現するんだなぁ、とドキドキしながら出発までの日中を過ごした。
ベルベル人という民族の暮らすそのエリアで、ラクダでキャンプへ連れて行ってくれるおじさんの家にて、小さな娘たちと過ごす。
まだ7,8歳のちびっこたちは、私の手足というキャンバスに、ヘナで大胆に力強く絵を描いてくれた。その後3週間消えないことになるそれは驚くほど器用に描かれていた。
そして夕方、ついに。
教科書やテレビでしか知らないサハラで、頭にターバンをぐるぐる巻いて、砂漠の民と乗り心地の悪いラクダに乗り揺られている私がいる。
少し風が出てきたようだ。
2時間ほど揺られ、そろそろおしりが3つに割れそうになってきたところで、砂まみれになりながらベースキャンプへ辿りついた。
植物と絨毯で器用に作られた風除けの下、器用に調理されるタジン鍋。この1週間でもう食べただろうか。蓋を外すとごろごろ野菜にしっとりと蒸された肉、魔人の現れそうなぶわっとした蒸気がほんのひとときでも枯れきったその空気に幸福をもたらす。
訛りまくった英語を話す砂漠の民の話を聴き、タムタムという太鼓で遊んだ。
その頃は目を開くのがもう精一杯というほどの風になっていた。
ただ、どうしても、あの夢を叶えたい。
顔じゅうに巻けるぎりぎりのところまでターバンを巻き、砂丘のてっぺんへむかう。
手にはタムタム。
月明かり、生死をさまよう砂埃のなか、砂漠のてっぺんで、タムタムを叩く。
夢みたような幻想的な体験ではなかったが、きっと、それよりもっと濃く忘れられないリアルな経験となり、頭にこびりついた。
目もあけられず、ターバン越しに少しずつ呼吸をしなければ砂粒が体内を侵食する。疲れ切った体にすこしジャリっとするミントティーを注ぎいれる。外はもう砂嵐。細かすぎるそれは容赦なくテント内にも侵入し、その夜はターバンを巻き、頭まで寝袋をかぶり、その上に羊毛の硬い毛布をかけて空気の薄いなか必死で眠りにつく。
修行のような憂鬱な気持ちで迎えた朝は、相変わらず砂色で、おかげで太陽の素顔がくっきりと見えた。
大抵の思い出は美化され、また行きたくなることが多いが、ここだけは、サハラ砂漠だけは、数年経った今でも恐ろしくて再度行く気になれない。立ち向かえないといったほうが正しい。
ただ、確実に言えるのは、一生忘れられない一日ができた。
そしてこの子たちだけは終始、長い睫毛に無垢なスマイル顔でタフに過ごしていた。