SILENTENERGY.JP

  • facebook
  • instagram
  • twitter
  • youtube
濱田庄司に荒川豊藏——「買える国宝」を静かに作り続けた人間国宝13人の技

Art

濱田庄司に荒川豊藏——「買える国宝」を静かに作り続けた人間国宝13人の技

By on

国宝は買えない。けれど、人間国宝が手がけた器なら、暮らしのなかへ迎えられるものがある。BRUTUSが、そんな逆説をめぐって、濱田庄司・荒川豊藏・富本憲吉ら陶芸の重要無形文化財保持者の作品を静かに紹介している。

名声のためではなく、土と火に問い続けた歳月。棚の奥ではなく、手のなかで生きる器。そこに宿るのは、派手さとは無縁の、長く燃え続けるエネルギーです。用いられて初めて完成する——工芸というものの、控えめな信念に光が当たっている。

今買える人間国宝による逸品。目利きが選んだ、現代の暮らしに合う工芸品を紹介 (BRUTUS.jp)

引用)BRUTUS.jp  濱田庄司、荒川豊藏、富本憲吉etc. 作品を買える、人間国宝の作家13人 | ブルータス| BRUTUS.jp
引用)BRUTUS.jp 濱田庄司、荒川豊藏、富本憲吉etc. 作品を買える、人間国宝の作家13人 | ブルータス| BRUTUS.jp

「国宝」という言葉には、どこか遠さがある。硝子の向こうにあって、触れてはならぬもの。けれど、陶芸の人間国宝たちが遺した器には、手にとれるものがある。飯を盛り、茶を点て、日々の食卓に据えられるもの。値や希少性のためではなく、用いられることを前提に生まれた器——その静けさは、いったいどこから来るのだろう。名を求めぬ反復のなかに、何が宿るのか。土と火に委ねるという受け身の技を、静かにたどってみたい。

手にとれる静けさ——「買える国宝」という逆説

重要無形文化財保持者、通称・人間国宝。歴史上または芸術上の価値が高い無形文化財のうち、とりわけ重要な技を体得・体現する者が「保持者」として認定される制度であり、最初の認定は1955年にさかのぼる。陶芸の分野でも、これまで多くの作家がこの技の継承者として名を刻んできた。

おもしろいのは、その作品の多くが、美術館の展示ケースだけに収まるものではないということ。濱田庄司が手ろくろで生んだ温かな造形、流し掛けや黍文といった独自の技法から生まれた器は、いまなお多くの人の暮らしのなかで使われ続けている。皿があり、湯呑があり、箸置きがある。日々のなかへ迎えられる「用の美」。国宝は買えないが、人間国宝の器なら手にとれる——この逆説のなかに、工芸という営みの本質が静かに息づいている。

🖼 本文挿入画像 #1・暮らしの食卓に並ぶ器(真俯瞰・日常の光)(1536×1024)

型に入る歳月——反復とは何を鍛えるのか

武の道に、型に入り、型を出る、という言葉がある。三十年とは、型に潜り続けた歳月のことだ。同じ所作を何万回と繰り返すのは、単なる熟練のためではない。反復とは、身体から迷いや作為を削ぎ落としていく行為なのである。

陶芸もまた、この思想の近くにある。轆轤を挽き、釉を掛け、火にくべる。その所作を来る日も来る日も重ねるうちに、手は考えることをやめ、あるいは手そのものが考えはじめる。荒川豊藏の逸話は、その凄みを伝える。最初の頃の窯では、三晩四日焚き続けてもなかなか温度が上がらず、意識を失って倒れるまで作陶したこともあったという。身を削る反復のなかで、技は身体の奥深くへと沈んでいく。沈黙のなかにこそ、所作は宿る。

土と火に問う——濱田庄司、手を止めて轆轤に委ねる

濱田庄司は、柳宗悦や河井寛次郎とともに民藝運動を推し進めた中心的な存在であり、手仕事から生まれる日用品のなかに美を見出そうとした。その作陶の軌跡を、濱田自身がこう要約している。「私は京都で道を見つけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と。

英国では、忘れられかけていた古い陶器と出会った。バーナード・リーチとともに農村で研究し再現したスリップウェアは、のちに日本の民藝運動を突き動かす力となる。そして益子に根を下ろし、その土と釉を用いた独自の作風を築いていった。

代表的な技法が流し掛けである。柄杓で釉薬を流しながら掛けていくこの方法は、リズミカルな装飾を生む。興味深いのは、濱田がこの手法について残した言葉の姿勢だ。流し掛けは、どうかすると技術だけになりやすい。だが、形や釉の性質から自然に生まれた手法には、趣味やおもしろさを期待する遊びがない、と。作為を捨て、土と火のふるまいに身を任せること。手を尽くしたのちに、あえて手を止める境地こそが、あの力強く健やかな器を生んだのだろう。

写しから己へ——荒川豊藏が古窯に見たもの

荒川豊藏の名は、ひとつの発見とともに記憶されている。かつて、志野や瀬戸黒といった桃山時代のやきものは、愛知県瀬戸で焼かれたと考えられていた。だが豊藏は、ある古志野の茶碗の高台についた赤土の色に違和感を覚える。昭和5年、美濃の大萱の牟田洞窯跡で、志野筍絵茶碗と同じ模様の陶片を掘り当て、桃山茶陶が美濃で焼かれたことを確信した。陶磁史を揺るがす発見であった。

そこから彼の歳月は、失われた志野の「写し」へと注がれる。桃山時代の古窯を模した半地上式の穴窯を築き、古志野の再現を目指して作陶を重ねた。だが、その写しは単なる模倣に終わらない。終には「荒川志野」と呼ばれる独自の境地へと至る。

過去の名品を写すことが、なぜ創造へと転じるのか。おそらくは、古人の手の運びを己の身体でなぞり尽くすうちに、写す対象と己との境が溶けていくからだ。型を徹底して潜り抜けた先に、型を出た自在が待っている。白洲正子が骨董に注いだような、古きものを通して己の眼を鍛える営みが、ここにもある。

図案と手仕事のあわい——富本憲吉「模様から模様を造らず」

富本憲吉は、いささか異なる道を歩んだ。東京美術学校の図案科で建築と室内装飾を学び、ロンドンに留学してウィリアム・モリスの思想に強く惹かれる。図案家としての知性を出発点に持つ作家であった。

彼が生涯の信念とした言葉が、これだ。「模様から模様を作らず」——既存の模様を一切用いず、みずから新たな模様を創り出す。過去の意匠を借りるのではなく、身近な自然や草花の写生から、詩情ゆたかな文様を生む。四弁花や羊歯は、やがて彼の代名詞となった。

技においても、妥協を知らなかった。色絵に金彩と銀彩を施す「色絵金銀彩」では、金と銀は融点が異なるため本来は同時に焼成できない。ところが富本は、銀に白金を混ぜることで同時焼成を実現してみせた。知性と手仕事が、一片の器の上で結ばれている。「色絵磁器」で第一回の重要無形文化財保持者に認定され、陶芸界で二人目の文化勲章受章者となった。

失敗という余白——窯変・歪みを美とする眼

陶芸には、人が制御しきれぬ領域がある。窯だ。火のふるまい、灰の付き方、釉の溶け具合——最後の一手は、いつも人の手を離れている。

この偶然を、日本の陶工たちは欠点としてではなく「景色」として迎え入れてきた。歪み、貫入、窯変。それらは失敗ではなく、器の表情になる。志野や織部は、ろくろや窯のなかで自然に歪んだものではない。あえてデフォルメすることで心の宇宙を映そうとした、日本独特のやきものである。シンメトリーの端正さを尊ぶ中国陶磁とは異なり、アシンメトリーの歪みにこそ美を見る。見えぬものを想わせること——それは、余白や沈黙を尊ぶ感性と地続きだ。埋め尽くさぬこと、委ねること。そこに、静けさが宿る。

名を求めぬ道——無銘の精神

陶芸の人間国宝には、色絵磁器の富本憲吉・加藤土師萌・藤本能道、鉄釉陶器の石黒宗麿・清水卯一、民芸陶器の濱田庄司、志野・瀬戸黒の荒川豊藏、備前焼の金重陶陽・藤原啓・山本陶秀、萩焼の三輪休雪ら、それぞれの技を極めた作家が名を連ねる。技法も出自もさまざまだが、彼らに通う一本の芯がある。名声のためではなく、技そのものへ奉仕する姿勢だ。

荒川豊藏の作業場は、その精神を物語る。木々に覆われたその場は、すべて自然のもので作られ、土に還ることのできる素材でできていた。豊藏はそこを、無の境地となれる場所と語ったという。能楽の稽古も、茶の点前も、無心の反復のなかで自我を薄めていく。器づくりもまた、己を消し、土と火に場を明け渡す営みなのだろう。無銘、無心——名を求めぬところにこそ、技は静かに深まっていく。

使う者へ渡されるとき、器は完成する

器は、棚に飾られて完成するのではない。手のなかで、口元で、日々の暮らしのなかで用いられて、ようやく生を得る。作り手が土と火に委ねたものを、こんどは使い手が受けとり、育てていく。

人間国宝たちが一生をかけて磨いた技は、華やかな結果として消費されるためにあったのではない。名を求めず、同じ所作を繰り返し、失敗を景色として受け入れながら、静かに長く続けること。その積み重ねだけが、手にとれる静けさを生む。器の底に沈んだ歳月は、使う者の日常のなかで、いまも静かに燃えている。

名を求めず土と火に委ね続けた手が、暮らしに宿す静かな器の美

READ NEXT

タグ
人間国宝, 工芸, 暮らしの器, 民藝, 濱田庄司, 荒川豊藏, 重要無形文化財, 陶芸
0