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昇格が早すぎた!!…なんて声から1年。F1最年少王者に輝いたのはアントネッリ20歳

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昇格が早すぎた!!…なんて声から1年。F1最年少王者に輝いたのはアントネッリ20歳

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英ガーディアン紙のF1担当、ジャイルズ・リチャーズ記者が、メキシコGPで決まったキミ・アントネッリの戴冠を1年分さかのぼって振り返っています。開幕前の本命は僚友ジョージ・ラッセル。前年はルーキーとして苦しみ、「昇格が早すぎた」とまで言われた19歳が、わずか6戦で評価をひっくり返しました。

面白いのは、記者が王者の証拠として挙げたのが派手な勝利だけではない点です。予選で自らクラッシュしたバクーで、無理をせず5位まで戻した判断。失敗のあとの立て直し方に、2年目の成長が見えます。

How Kimi Antonelli saw off the grid to become F1’s youngest world champion (The Guardian)

出典:How Kimi Antonelli saw off the grid to become F1’s youngest world champion(The Guardian)
出典:How Kimi Antonelli saw off the grid to become F1’s youngest world champion(The Guardian)

メキシコGPの舞台、アウトドロモ・エルマノス・ロドリゲス。メルセデスのキミ・アントネッリが3位でチェッカーを受け、20歳でF1史上最年少の世界王者になりました。イタリア人ドライバーの戴冠は、1953年のアルベルト・アスカリ以来です。

英ガーディアン紙のジャイルズ・リチャーズ記者は、この1年を「すべての予想を上回った」シーズンとして振り返っています。開幕前の本命はチームメイトのジョージ・ラッセル。アントネッリは「まだ磨く必要がある才能」と見られていました。その評価が、わずか6戦でひっくり返ります。

「昇格が早すぎた」と言われたルーキー時代

アントネッリのF1デビューは2025年。グラウンドエフェクトと呼ばれる、床下で車体を路面に吸いつける仕組みのマシンに手こずり、シーズン中盤には不調が続きました。「F1に上げるのが早すぎたのでは」という声も出ていたそうです。

2年目の開幕戦オーストラリアでも、出だしはつまずきました。最終フリー走行でクラッシュし、修理のせいで予選に間に合わないところだったんです。レースはラッセルが優勝。ブックメーカーの読みどおりの滑り出しでした。

2戦目からの逆転。新しいマシンを誰より早くつかんだ

流れが変わったのは第2戦の中国です。スプリントではイサック・ハジャーとの接触でペナルティを受けて5位。でも、つまずきはここが最後でした。F1史上最年少でポールポジションを取り、決勝はラッセルに5秒差をつけて初優勝します。

2026年のマシンは、電気エネルギーの使い方が走りを大きく左右します。アントネッリは、そのマネジメントに合わせた走らせ方を早くつかみました。チームメイトのラッセルが届かなかった感覚です。ラッセル自身も、アントネッリほどマシンになじめていないと認めていました。

続く日本では、スタートで6位まで落ちながら優勝。セーフティカーの運にも助けられましたが、ここで手にしたランキング首位は最後まで手放しませんでした。そこからマイアミ、カナダと勝ち続けます。

モナコ、2度のリスタートで試された神経

連勝の5勝目はモナコでした。予選でマックス・フェルスタッペンの猛追を退けてポールを獲得。決勝では30秒の大差を築きましたが、2度のリスタートでその貯金は消えてしまいます。

2度目はスタンディングスタート。隣には7度の王者ルイス・ハミルトンが並んでいました。参戦2年目のドライバーにはかなり厳しい場面です。アントネッリはラインを守り、首位のままチェッカーまで走り切りました。この時点で、ハミルトンに66点、ラッセルに68点の差がついていました。

不運のあとに、自分のミスをどう扱ったか

楽な1年だったわけではありません。バルセロナでは残り5周でラッセルを抜いて2位に上がった直後、電気系のトラブルでマシンが止まりました。シルバーストンでもトラブルで優勝争いから脱落し、ラッセルとの差は25点まで縮まります。

本拠地イタリアのモンツァは、エンジン交換のペナルティで19番手スタート。そこから集団を抜いて優勝しました。F1でこれより後ろから勝ったのは、1983年のロングビーチで22番手から勝ったジョン・ワトソンだけという大記録。

記者が「王者の考え方」が表れたレースとして挙げるのが、アゼルバイジャンのバクーです。アントネッリは予選でクラッシュし、本人も「必要のないミス」と認めました。16番手からの決勝で、彼は無理に順位を取りに行きませんでした。危ないコースだと分かっていたからです。リスタートの混乱で床を傷め、扱いにくくなったマシンで、冷静に5位まで上がりました。

ミスを認め、今の状況を見て、タイトル争い全体で何が一番いいかを選ぶ。派手な抜き方で勝つタイトルもありますが、失点を最小限に抑えることも同じくらい大切です。オーストリアやハンガリーでの黄旗をめぐるミスも、どれも小さく収まっていました。

1年前の早すぎたという評価から、メキシコの涙まで

終盤はフェルスタッペンが追い上げましたが、アントネッリは表彰台を重ねます。シンガポールでは、争い合うランド・ノリスとハミルトンの間をすり抜けて3位を奪いました。オースティンではシーズン9勝目。チーム代表のトト・ヴォルフが「彼のベストレースの一つ」と称えた勝利でした。

そしてメキシコ。9位以内で決まる状況で、落ち着いて3位に入りました。マシンを降りたアントネッリは涙を流し、ずっと支えてきた母と父、きょうだいと抱き合いました。

「やったよ。メルセデスと家族がいなければ、ここにはいなかった。言葉が出ない。この瞬間をなんとか受け止めようとしているところです」

1年前に「早すぎた」と言われた20歳は、ガーディアンの記事によれば、いま「この先まだ伸びる」という新しい共通認識を生んでいます。

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ルーキー年に苦しんだアントネッリが、新マシンの扱いとミス後の立て直しを磨き、20歳でF1王者に。

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F1, キミ・アントネッリ, ジョージ・ラッセル, メキシコGP, メルセデス, モータースポーツ, 最年少王者
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